
子供たち同士で教えあう大切さ ー「先生」になったとき、学びが深くなるー
2025.09.19
何回言っても自習をしない。
中学生に自習をさせるのは難しい💦と思っていたところ、
さりげな~くホワイトボードを自習室において、又何気な~く机を向かい合わせにしたところなんと自習を始めたのです。
私も講師もびっくり( ゚Д゚)!・・・ということがありました。
やってよかったなあと思った矢先、子どもたちで教え合うようにもなったのです。
目次
「子どもたち同士の教え合い」
子どもたちが勉強する姿を見ていて、不思議に思うことがあります。
それは、大人がいくら丁寧に説明しても首をかしげていたのに、友だちがちょっと横から教えたら、すんなり理解してしまうことがあるということ。
そんな場面を何度か目にするうちに、私は気づきました。
「子どもたち同士で教えあう」という時間には、ただの知識の共有以上に、大きな学びの意味があるのだということに。
「わからない」は、誰かと分かち合える
子どもがわからない問題にぶつかったとき、
大人はつい「教えてあげよう」と思いがちです。
でも、その「教える」という行為は、ときに相手を受け身にしてしまうことがあります。
一方で、同じ目線の友だちが「これね、こうやってやるとわかるよ」と軽く声をかけてくれたとき、
教えてもらう子どもは「自分だけじゃなかった」「一緒にがんばろう」と思える。
それだけで、心の壁がふっとやわらぐことがあります。
わからないことは、恥ずかしいことじゃない。
友だち同士のやりとりには、安心感や信頼感の中で育つ学びの空気があるのだと思います。
「教えること」が一番の学びになる
反対に、教える側の子どもにとっても、これは大きな成長のチャンスです。
「どうやったら、相手に伝わるかな?」
「なんでこの答えになるんだっけ?」
そう考えることで、ただの“わかった”から、“わかって説明できる”という深い理解に変わっていく。
これは大人でも経験することですが、「先生」になって初めて見える景色って、確かにあるんですよね。
子どもが子どもに教えるという行為には、
その子自身の思考力・表現力・相手意識など、多くの力が自然と引き出されているんです。
教え合いは、学び合い
もちろん、すべての子が得意なわけではありません。
うまく伝えられない子もいれば、聞くのが苦手な子もいるでしょう。
でもそれでいい。上手に教えることが目的じゃない。
大切なのは、「伝えたい」「わかりたい」という気持ちが交差する経験。
その繰り返しの中で、子どもたちはお互いのちがいを知り、「学び合う」姿勢を自然と身につけていきます。
教室の外にも「学びの場」がある
子どもたち同士で教え合うのは、勉強に限りません。
遊びのルール、ゲームのコツ、習いごとの技…
小さな発見やコツを、誰かに伝えたくなる瞬間が、日常の中にはたくさんあります。
そのひとつひとつが、社会性や共感力、伝える力を育てる種になっています。
教室の外で育つ力は、教科書には載っていないけれど、とても大切な「生きる力」だと思います。
最後に
私たち大人は、つい“正しい答え”や“効率の良さ”を優先しがちです。
でも、子ども同士で教え合う中には、ゆっくりでも確かに育っていく「学びの温度」があります。
わからないことに出会ったとき、
「一緒に考えよう」と声をかけられる子に育ってほしい。
そして、誰かの言葉に「ありがとう」と言える子であってほしい。
子どもたちが、学び合いの楽しさを知っていくこと。
それは、教室の中だけじゃなく、これからの社会をやさしく、強くしていくことにつながっていると思うのです。